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2005年のJR福知山線脱線事故の風化防止と社会貢献活動の一環として当サイトは、2006年に発足しました。 当サイトは、『ドクター自身または、家族の治療を自分以外のどのドクターに委ねるか』 という観点から他のドクターを推薦いただき「信頼できるドクター」の取材活動に取組んでまいります。

これまでの経緯~あの日を振り返って

あの日

 2005年4月25日午前9時18分、兵庫県尼崎市のJR福地山線で、通勤・通学客で混み合う快速電車 (宝塚発同志社前行き上り、7両編成)が急カーブを曲がりきれずに脱線しました。 乗客と乗員計107人が死亡し、乗客562人が負傷する、JR発足後最悪の事故となりました。
そのご遺族の方にとっても、未だに後遺症に悩まされている負傷者の方にとっても取り返しの付かない悲惨な事故でした。

JR福知山線脱線事故 Wikipedia内[JR福知山線脱線事故]より
2016/04/07 15:00 UTC
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Fukuchiyama_joko20051.jpg?uselang=ja

事故にあった状況と私が負った怪我



あの日、JR伊丹駅を200メートルほど大きくオーバーラン した電車は、正しい停車位置に戻すためにバックをして停まりました。
3両目の最後部と4両目の先頭部のどちらにも近い距離に乗降口 があり一瞬迷いましたが、私はたまたま4両目に乗車してドア付近 に立つことになりました。
あの急カーブに差しかかった頃、突然電車が激しく振動したかと思うと、車体 がメリメリと変形し、目の前の窓ガラスが粉々に割れ、ゴムが焼けるような異 臭とドーンという物凄い衝撃音がほぼ同時に起こり、車内にはキャーという 叫び声が響いていました。その時初めて『死』という言葉が脳裏を霞めました。 次の瞬間、走行中の車両は、右側の反対側線路を大きく飛び越え、外柵をなぎ 倒して急停車したのです。
車内は、急停車した反動で人が飛ぶような勢いで将棋倒しになり、折り重なる 乗客のうめき声と恐怖で凍りついたように静寂になりました。

初めて見た現場は、マンションにペッシャン コになって貼りつくように変形した異様な車両とその線路上には、3人の女性 が投げ出され倒れていました。
大学生くらいの女性は、すでに虫のような息遣いで、唇が何かを訴えているよ うに震えていましたが、私はなす術もなく、ただただ茫然と立ち尽くすしかあ りませんでした。そして、しばらくして到着した警察官らにブルーシートを被 せられて道路の隅に安置されました。
白いワイシャツが血で真っ赤に染まり、頭を押さえている男性など治療を要 する人も数多くいましたが、まだ、意識があり自力で動ける乗客は助かった方 でした。
けたたましいサイレン音と救援隊の叫び声、上空からもヘリコプターが舞う エンジン音で現場は、一層騒然とした雰囲気に包まれていました。
この事故で将棋倒しの下敷きになり肋骨骨折の重症と頭部打撲を負いました。


病院探しの苦労

私の場合、肋骨骨折は、コルセットを巻いて安静にして自然治癒に任せるしか ありませんでした。これは、どんなドクターでもそれ以外の方法はありません。 通院に便利なクリニックがあればそれで解決できました。
ただ、頭部打撲で頭痛が続いたので後遺症の心配もあり、MRI検査など最新 の機器で適確な診断を求めるならば、脳神経外科でも設備が整い、かつベテラ ンの腕の良いドクターがいるクリニックを探したいという思いがありました。

結局、信頼できる情報がなかなか見つからなかったため、何人かの知り合いの ドクターに教えていただいたその情報で検査を受けるこ とにしましたが、知り合いのドクターに聞けたので安心感がありました。

信頼できるドクター探しの中で芽生えてきた気持ち

いざ良いドクターを探すとなると、ネット情報、雑誌情報などいろいろなツー ルがあるにはあるが、正しい情報なのか?という疑念を抱きました。
なぜなら、調べてみるとネットも雑誌も広告料を支払えば、信頼できるドクタ ーという謳い文句で誰でも紹介されているからです。
『お金さえ出せば、あなたも明日から名医』と揶揄されるドクター情報もある ようです。
広告料を支払わない場合でも電話帳のように、ドクターなら誰でも紹介する ドクターサイトも乱立しています。
ドクターなら誰でも同じでしょうか?誰でも良いなんてことはありません。 ドクターにより専門分野や得意分野も能力も人柄も全く違います。

自分自身もドクター探しに苦労した思いもあり信頼できるドクター情報が世 の中にないのであれば、自分が作ろうという思いが沸々と湧いてきました。