磯野耳鼻咽喉科

磯野 道夫  先生
耳鼻咽喉科
取材日:2018年12月07日
堺東駅すぐ開業大正8年
ミミハナノドの磯野耳鼻咽喉科

プロフィール

磯野 道夫 先生
経歴
1980年 聖マリアンナ医科大学医学部卒業
1982年 近畿大学医学部耳鼻咽喉科学教室助手
1985年 近畿大学医学部附属病院講師
1987年 神戸市立中央市民病院副医長
1994年 州立チューリッヒ大学医学部耳鼻咽喉科(スイス)留学
1995年 近畿大学医学部講師
1999年 前院長死去により本医院長
近畿大学医学部耳鼻咽喉科学教室非常勤講師2018年3月まで
資格・所属学会
日本耳鼻咽喉科学会認定
耳鼻咽喉科専門医
今回は堺東駅すぐ開業大正8年、平成31年度で100周年となります。ミミ・ハナ・ノド・頚部の専門医院です。磯野耳鼻咽喉科の院長磯野先生を紹介いたします。

患者の方に向けてメッセージをお願いします

耳鼻咽喉科は文字通り「みみ」「はな」そして「のど」の病気を専門的に治療する科です。
当院では、これら耳鼻咽喉科疾患に対しできるだけ専門的にかつ迅速に治療することを目標とし、日々診療を行っています。
また、外来診療のレベルで治せる病気は外来手術として入院せずに治療することを目標としますが、ひとたび入院治療が必要な患者が見つかれば迅速に連携し最良の治療を行うようにしております。

病院・クリニックの特徴を教えてください。

磯野医院に伝わる治療・先進的な治療法と、治療法をうまく融合
高度先進医療を行うのが大学病院ですが、それだけでは何か足りないものがあるのも確かで、磯野医院に伝わる治療・先進的な治療法と、治療法をうまく融合させることが重要なことと考えています。
疾患の種類により、ここでは手におえない病気があるのは仕方ないにしても、新旧様々な治療を組み合わせてここで治せるものはここで治そうというのが当院の治療方針となっています。

<ミミハナノドイソノ>というカタカナの看板
祖父が当院開業にあたり資金面でお世話になった実業家が<カナモジカイ>という会の一員で、看板にカナカナを使うことを、勧められたと聞いています。
現在では当院以外でも<ミミハナノド>というコピーは色々な耳鼻咽喉科医院が使っていますが、当院がオリジナルいうのは真実のようです。


推薦ドクターの声

南里眼科 南里 勇 先生

医学部後輩から紹介いただき磯野先生の診察を受けました。息子が鼻出血を繰り返し困っていた時、磯野先生に原因を見つけて頂きました。またモニターを見せていただきながら原因血管を一回の凝固止血で瞬時に直していただきました。
本当に感謝申し上げます。


地域医療サポーター 八木 浩之
南海電車高野線堺東駅下車すぐミミ・ハナ・ノドイソノの看板が見えてきます。大正8年3月開業で、院長の磯野先生は三代目で平成31年度で100周年を迎えられます。磯野耳鼻咽喉科は100年の開業ですが、磯野先生で7代目で医師の家系のようです。創業者の祖父厳(いわお)氏は開業当時の新聞にも掲載されたようです。「盛名をなすに至ったのは、診察が周到綿密をきわめ、如何なる軽傷でもいやしくもせず、反復丁寧に診察されており、院長以下、看護婦さんも親切至らざるはなしであることが大繁盛の大原因である。」磯野院長は祖父の名前のごとく非常に厳格だったと回想されます。お父様は祖父の意思を継ぎながら技術の継承をされました。磯野先生は家業を引き継ぐことには抵抗があり、別の道を向かうことも考えられましたが家業を承継されます。近畿大学医学部耳鼻咽喉科で耳に権威の教授に出会い、手術技術の修練を積まれます。磯野先生は近畿大学医学部講師として指導と耳の手術の執刀されてましたが、1999年お父様の死去で院長となられます。院長になられてからも近畿大学医学部耳鼻咽喉科学教室非常勤講師とし活躍されます。大学病院で最先端の医療に携わり、磯野医院に祖父の代から存在する古典的な治療法と先進的な治療法を融合されます。確かに技術は伴いますが、症状はよくなります。磯野先生は丁寧に診断され診察方針を明確にし患者さんに充分納得いくまで説明され治療をおこなわれます。いつしか患者さんの中には治らなかったら磯野医院に行けといわれるようになります。医院の2階は今も当時の入院施設が残り、懐かしい佇まいですが診察時間の1時間前には医院の前で待たれる患者さんがおられ、診察時間30分前には患者さんで待合室が埋まっていきます。大繁盛の原因は今も磯野医院にかかわる人が歴代の磯野医院の患者さんへの思い・技術の継承がされることにより、患者さんも何世代と通われてます。耳鼻科で問題ございましたら、診察時間は余裕をもって診察までの時間は覚悟で磯野先生に相談いただくことお勧めいたします。